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amigahinaの世界放浪記録

パレスチナで見た現実

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パレスチナのヨルダン川西岸地区に行って来た。エルサレムからベツレヘムを経由し、まずはヘブロンという自治区へ。
まず、ここがどんな歴史を持った地区なのかは、ここを見て頂きたい。

セルビスと呼ばれる乗り合いのミニバスに乗る。バスはアラブ人とユダヤ人と住む地域が違うので、アラブ人の住む町へ行くバスはアラブバスと呼ばれ、アラブ人しか乗っていない。
ヘブロンへはエルサレムから1時間半程。バスを降りると目の先にはずーっと商店が並んでおり(スーク)、吸い込まれるようにその道へ入って行った。テルアビブを出た翌日ここに来たのだが、全く同じ国とは思えない雰囲気だ。看板は全てアラビア語、銀行もアラブ銀行、食べ物も、洋服も、アンマンの下町に売っていたものと変わりない。あまり観光客は来ないのか、特にスカーフを頭に巻いていない私は女性からこそこそと見られるようになった。

今度はスークの両側から男性たちが笑顔で声をかけてくる。特に悪気のないそれは、テルアビブのような都会から来た者には少し嬉しく感じる程だ。そう、ヨルダンでは皆どこでも「Welcome to Jordan」と声をかけてきた。それはなかなかいい響きで、気軽な挨拶のようだ。私はいつも旅している時はそこにお邪魔させていただいてる気持ちで居るので、ようこそ、と言われると気分よく歩くことが出来る。ここでも「Welcome to Hebron」と皆が声をかけてくれた。

このスークは屋根にビニールシートがかかっており、太陽の光を通して全体が青がかっていたり、またシートが頭上ギリギリで少し窮屈な気がした。しばらくするとパッと目の前が明るくなり、空を臨むことができた。ただ、それは一瞬で、今度は頑丈そうな鉄製の網が天井に張られるようになった。光は通すので明るいが、網の上にはゴミが散乱していて、決して美しい光景ではない。

そこで立ち止まって上を見上げている私たちに、商店の男が声をかけてきた。

「この上に住んでいるユダヤ人が物を投げてくるんだ。」

このパレスチナ自治区ヘブロンにもユダヤ人入植者は日々入ってきているのだという。

このスークは一本道になっており、この道沿いの建物の1階部分に商店が建ち並んでいるのだが、この天井の金網部分より向こうは、2階以上にユダヤ人が住み始めたのだという。そしてパレスチナ人の商店に上からゴミを捨てるのだという。ゴミと言ってもペットボトルなどだけではない、大きなブロックや鉄線など、ゴミとは決して言えない物までだ。

その男が今度は商店の裏側を見ろと案内した。裏側もスークになっていたようだが、今は鉄製の扉が固く閉ざされ、建物の裏側はユダヤ人が捨てたゴミ溜めになっている。鉄製の扉に付いている鍵は、どれも固まっていて開かなくなっている。イスラエル兵がやってきて溶接していったのだという。そしてその男の商店も鍵を溶接された上、鉄製扉の上部分に開いたブロック塀の穴から火炎瓶を投げ込まれたという。穴の周りに黒く燃えた跡が、生々しく残っていた。
活気のあるスーク、笑顔のスークの裏には悲惨な現状が隠れていた。
男に出来るのは、この扉にパレスチナ国旗を描き、ただ静かに訴えることだけだった。

暫くショックを受けながらもどんどん進むとスークは一旦終わった。スークの終点部分右側には大きな黄色い鉄門が設けられており、中に入ることは出来ない。先ほどのユダヤ人入植者の住む方へと続いている。見るからに住宅の建物は美しい。ユダヤ人の住む家は綺麗なのですぐわかる。ゲートの一番上には監視台があり、若いイスラエル兵士が見張っていた。

まだまだ直進すると、今度はもう少し古めかしいスークが現れた。地面の砂埃が舞うたびに、太陽の光が幻想的に輝く。今度は肉や野菜、おかず、油、漬け物などの露天が並び、不思議な匂いを放っている。人々はその光景を横目にひたすら進行方向へと急いでいる。どこからかアザーン(イスラム教の礼拝時間を知らせる呼びかけ。歌のように美しい)が聞こえてきた。昼の礼拝にモスクへ急いでいるのだ。

私たちも後を追ってみた。細い路地をどんどん進むと最後に鉄製の頑丈なセキュリティーチェックがあり、ひとりひとり鉄の回転柵を押しながら進んでいく。私たちも同じようにそこをくぐり抜けると、またも兵士が監視していた。物々しい雰囲気をものともせず、パレスチナ人は礼拝に急ぐ。このゲートをくぐり抜けるとすぐ正面にモスクはあった。私たちはお祈り中には中に入れないので遠慮したが、このモスクの入口も再びセキュリティーチェックがあり、皆かばんの中身を細かくチェックされてモスクへ入っていく。
それを見ながら暫く唖然としていた。頭の中がいっぱいで、少し混乱していた。ここまでの道のりは全部で2、3kmほどだろうか。果てしなく長いような気がした。

モスクを正面に右を見ると、鉄柵がまたあり、遠くに監視の兵士がいる。近くまで行ってみると、あまり人気のない街が広がっていた。兵士が行っていいという仕草をしたので、街を歩いてみた。先ほどのスークの活気はなんだったのだろう、ここはゴーストタウンと化している。かつて商店だった跡も全てそのまま、破れたビニール地の日よけがだらんと垂れ下がったままになっていた。
そして、ブロックでできたいくつかの建物は、尋常ではない壊れ方をしていて、そのがれきの陰から子供たちが無邪気な笑顔を見せたり、またはあっかんべーをしたり、なにか敵視されているように感じることもあった。

どこにいってもマシンガンを持った監視兵がいる。監視兵にちょっかいを出して遊んでもらおうとするパレスチナ人の子供。そんな子供に笑顔で対応する若い兵士。兵士の格好がジーパン姿だったなら、いたって平和な光景なのに。

街とも言えないこの街を歩くと、小さいながらも靴のパーツを作っている工場に出くわした。作業するパレスチナ人はみな一様にお茶に誘う。ちょっとおいでよ、休んでいきなよ、笑顔があふれるあったかい空間がそこにある。ただその斜め向かいの住宅の屋上を見上げると、ここにも兵士の監視小屋が作られており、じっと上から見下ろされていた。気分がいいものではない。

帰り道に再びゴーストタウンと化した通りを歩いた。2階で洗濯物を干している女性が居た。女性は頭に黒いスカーフを巻いていた。スカーフの巻き方で違いが分かるのだが、こちらはユダヤ教の女性だ。
※エルサレムに超正統派とよばれるユダヤ教のコミュニティがあって、その街はメア・シェアリームと言うのだが、そこには不思議な程の黒尽くめで、ハットをかぶり、もみあげがドレッロロックスの男性と、その妻は黒いワンピースに黒いニットのタムみたいな帽子、またはスカーフで髪の毛をすっぽり覆っていた。首までは隠していない。その光景を見ていたし、この女性はユダヤ教とわかった。
この通りにはいくつものイスラエル国旗が堂々とはためいていた。


ヘブロンを後にし、帰りに同じパレスチナ自治区のベツレヘムに寄った。
ベツレヘムはキリストの生誕地として有名で、熱心なキリスト教信者の観光客も多い。聖誕教会という教会の地下には、実際にキリストが生まれた場所があり、神聖な雰囲気を持っていた。
そしてもうひとつ、ベツレヘムで見ることの出来る凄まじい光景、それは「アパルトヘイト・ウォール」と呼ばれる分離壁だ。イスラエルがテロを防ぐという名目で建設を進めている。高さはなんと8m。かの有名なBanksyも多くの作品を残して、メッセージを伝えている。
※ 最初の3枚がBanksy。彼の作品は分離壁ではなく、街のガソリンスタンドの壁や、その他の場所に見られる。

どこまでもどこまでも続く壁の向こうに、夕日が沈んでいった。

そしていろいろな思いを馳せながら、自治区を出る。これが自治区を抜けるゲートだ。
このような鉄柵に囲まれた長い通路をひたすら進み、

この建物でセキュリティーチェクを受ける。
壁との狭間でアザーンが聞こえた。熱心な信者は同じ方角に向かってお祈りを始めた。

この最後の通路が果てしなく長く感じた。

パレスチナ問題。私は1日しか居なかったし、パレスチナ人、ユダヤ人、どちらとも十分に話が出来た訳ではない。
なので、これで全てを理解した訳ではもちろんない。
しかし、ここに来て、見て感じたことを、ありのままお伝えすることが、今の私に出来ることであり、
これをきっかけに、多くの方がこのような場所があること、
そしてこのパレスチナ人という人たちの今後について興味を持って頂ければと願う。


私が個人的に興味を持ったページを参考までに:
パペから学ぶ歴史認識と多文化共生
アパルトヘイト・ウォール←地図が参考になります。

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Written by amigahina

2011年12月7日 @ 04:25

カテゴリー: Palestine

コメント / トラックバック2件

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  1. yamaさんのところで紹介されていて、さっそく見にきました。
    http://mixi.jp/show_friend.pl?id=451515

    話には聞いていても、やはりこうして現地で実体験されている方が触れる彼らのリアルな日常にはハッさせられます。

    文章から感じられる錯綜するエネルギーのようなものに打たれました。

    また、訪問させていただきます。更新たのしみにしております。

    小川慶一

    2011年12月7日 at 09:29

  2. 小川さん 初めまして。yamaさんが紹介してくれてるんですね、読んで頂いてありがとうございます。
    そうですね、私もここに来て感じた空気は一生忘れないですし、100%は伝えられないですけど、空気感だけでも伝われば、と思って書きました。今はエジプトの紅海沿いに滞在していますが、ずーーっとパレスチナのことが頭から離れません。小川さんも南米好きなんですね!私も大好きです。年明けに渡りますので、また訪問してください。ありがとうございます☆

    amigahina

    2011年12月7日 at 16:10


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